4月4日(木)~5日(金)の2日間にわたり、当選一期生の有志4名で岩手県釜石市、大船渡市へ震災瓦礫の調査に急遽向かった。大村秀章知事が震災瓦礫の処分場を愛知県内に設ける方針を発表したことに端を発し、地域振興環境常任委員会が9日午後、急遽招集されることになった。震災瓦礫受け入れについて再度審議が必要だと判断したためだ。僕たちは委員会召集前に自分たちの目で現状を確かめる必要がある、と自発的に、愛知県庁職員がサンプリングを採集する現地岩手県へと向かった。

“爆弾低気圧”の影響で、県営名古屋空港は欠航が相次いだ。漸く降り立った「いわて花巻空港」は季節外れの大吹雪。レンタカーを借り、釜石市まで雪道を約2時間半かけて移動、市内に入る頃には既に日が暮れていた。

前日の吹雪が嘘のように晴れ渡った翌日、向かったのは、児童・生徒約570人全員が無事に津波から身を守り、“釜石の奇跡”と言われる釜石市鵜居住地区の鵜居住小学校、釜石東中学校。しかし、その敷地内は、すべて震災瓦礫の山に埋もれていた。

上の写真、奥に見えるのが釜石東中学校の校舎。よくみると校舎塔の右脇にワゴン車が突っ込み取り残されたままになっているのが見える。この地を襲った津波の恐ろしさを物語っている。こうした震災瓦礫は岩手県、宮城県、福島県の3県で約2250万tと算出されている。震災復興に向けて、越えなければならない“ハードル”は限りなく高く、そして限りなく多い。