衆議院議員候補として国政選挙を戦うと言う事は、
選挙戦の最中は元より、選挙までの準備期間も、当落に関わらず選挙戦の後も、これまでのサラリーマンの経験・発想だけでは想像出来ない事が次々と起こる。つまり、自分ひとりの力ではなんともならない事だらけ、ということだ。ひとつの会社組織の中で生きるサラリーマンとしての世界ですら自分の思い通りには事が進まないことが日々ある。それが国家、政党、有権者、財界、各種団体組織などなど、一個人の周りをぐるりと多種多様なステークホルダーに取り囲まれるのが衆議院議員やその候補経験者である。“白か黒か”なんて簡単に結論が出せるものではない。(それが出来たら苦労も苦悩もしない)もちろん“お前の気持ちはどうなんだ?”などと聞かれても、(後からジワジワと実感する事だが)一度候補者になると言う事は“私”を捨てるということ“自分の気持ち”を軽々に言うことすら無責任と感じるようになるものである。
幸か不幸か、そんなややこしい経験をしている人間と、そんな事とは無縁でまったく想像することさえ必要としない世界で生きられる人間とでは、到底、会話だけでは相互理解は成り立たない。
たぶん、お互いが、黙って相手の心を想像する(察する)事でしか解決できない高度なコミュニケーションが必要なのだと思う。
『
沈黙は金』なのである。
昔の人が言うことはやっぱり正しい。