‘
井戸塀(いどへい)’。
政治家の家はしばしばそう揶揄される。「まじめに政治に務めると、最後は“井戸”と“塀”しか残らない」(つまり貧乏になる)という例え話である。
名古屋の下町、中村区で家族5人の借家暮らしだった。当時すでに築30年で、今にも壊れそうな木造家屋だった。事実、雨が降ると土間にあった台所は必ず雨漏りした。“
お隣”の大家さんのお宅にしばしば醤油や塩を借りにいったことを思い出す。手洗いも風呂も屋外の離れた所にあったので、子どもの頃は夜トイレにいくのが怖くて仕方なかった。学校から帰ると“
向かえ”の運送屋さんのお兄さんたちがキャッチボールをして遊んでくれた。自宅前の道路に‘チョーク’でウルトラマンや怪獣の落書きをしてはバケツの水で消して遊んでいた。その借家も何年か前に既に取り壊されてしまったが、高校二年の時に今の実家がある場所に引っ越すまでの20年近くに及ぶ
家族の記憶は、そこ中村区名楽町四丁目にある。
確かに今ほど“モノ”に溢れてはいなかったが、隣近所、地域や社会全体が“思いやりと温もり”に溢れていたように感じる。
うちは、絵に描いたような“
井戸塀の家庭”だった。
それでも、やっぱりその頃の方が、今よりもずっと豊かだった。
この数十年で、日本は“
豊かさの罠”に陥ってしまったようだ。
この10年、猫も杓子も“グローバル”の大合唱、ニッポン人の悪いところだ。
確固たるローカルがあってこそのグローバルであることを忘れては困る。