「削減額が1兆円を超えた」とか「2000億円凍結」とか「300億円廃止」だとか、事業仕分け以降、億単位の数字をやたらと目にするようになった。
億単位の
“大きな数字”をバッサバッサと削減しているのを見ていると、視聴者や読者はある種の快感を覚えるのかもしれない。しかし人間、そん大きな数字ばかりを見聞きしていると
“数字に鈍感になってくる”。
つまり感覚が、
知らず知らず“麻痺”させられてしまうのだ。
数字(金額)の大小が問題ではないが、鳩山総理が「9億円」を母親から譲り受けた問題がメディアに取り上げられても国を挙げての大騒ぎにならない。よっぽど麻生前総理が仕事帰りにホテルのバーで葉巻をくゆらせながら一杯飲んだニュースの方が「庶民感覚・金銭感覚がない」と言われ袋叩きにされ“大問題”にされた。あの時の異常な反応は何だったんだろう?と思う今日この頃でもある。
いま、最も深刻な問題は(誰かが操作しているのではないかと疑いたくなるような)
奇妙な円高による「86円」とか「84円」、ひょっとすると「79円??」なんていう
“小さな数字”こそが、日本人の生活基盤を揺るがしていること。
経済政策と外交政策における“先送り”のしわ寄せを、結局、我われ生活者が背負わされ始めている。まさか化けの皮が剥がれないうちに民主党政権維持狙いで来夏に衆参ダブル選挙?なんか昔の古い自民党みたいだ。
そんなことをしていたら本当にこの国の未来はHopelessになってしまう。
やっぱり‘国会(議員)’任せではなく『地方(首長)』がしっかりしないとダメだなのか、この国は。